信頼があれば、どんな仕事でも、司祭や牧師と同等の働きが出来ます。それが最初のルターの考えでした。
Young Man Luther 『青年ルター』p.220の第2ラグラフから。
ルター本人の自分自身の仕事に対する態度に関しては申し上げれば、話をすることを自分の仕事の中心にできる時にだけ、自分の考えが分かるようになれるし、自分の考えを信頼できるようになりました。それに神様も信頼できたわけですね。ルターが講義をしたのは、信心深さからではなく、悲劇的な葛藤を感じたからでした。しかし、ルターは説教の準備をし、説教をするほどに、気持ちの上でも、知的にも、イキイキ、ピチピチしてきました。これは「ねばならないこと」ではありません。これは仕事であって、しかも、一番いい意味で仕事でした。実際、ルターが自分の仕事すべて、腹蔵なく言葉にするという仕事をしたのは、スコラ哲学の流儀が大手を振って表を歩いているところでした。ルターの流儀は、ルター自身の確信を示していたんですね。その確信とは、体裁など考えずに、なるべく正直に語る方が、人に良く伝わるし、気持ちがよく伝わる業になる、ということです。
ルターの流儀は、完全に内村鑑三の流儀になりました。本当のことは、体裁や上手下手ではなく、正直に率直に、ふがいなくても、話すことが、結局は人の心をつかむというやり方ですね。
私どももそれくらいバカ正直でやりたいものですね。
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