基本的人権は、憲法の三大原則、「国民主権」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」の1つです。小学生でも習う、基本中の基本です。それが安倍晋三首相はお分かりでない。
基本的人権の基本の「き」は、個人の尊重です。実際に、憲法十三条は
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
と、個人の尊重が明記されています。「個>国家」、「個>社会」と明記されてんですね。
ところが、自民党の憲法改正法案には、「個人」がありません。「たった一文字『個』がある、ないで、そんなに違うの?」という人も、少なくないんじゃぁないかしらね。じつはこれが大違い。大間違い。
世界広しと言えども、民主主義の国で、「個人」の尊重がない国はないんですね。エリクソンが、Young Man Luther 『青年ルター』で明記しているように、このindividual 個人を大事にしようとする考え方が出て来たのは、イタリア・ルネッサンスにおいてでした。そして、封建制が崩壊して、近代市民社会が成立する基盤に、個人を、国家や社会よりも、価値が高いとする「個人主義」がありましたし、今現在もある訳です。ちなみに、古い本ですが『岩波 哲学小辞典』(1979)には、「(個人主義)の思想は、封建制度の崩壊と資本主義の発達を背景として広く行われるようになった」とあります。近代国家、民主主義社会にあっては、個人の尊重=個人主義はなくてはならないものなんですね。
その「個人」を抹殺しようとするのが、今安倍晋三政権が掲げる「憲法改正草案」なんですね。「自由民主党」と看板を掲げていますが、今の自民党は「自由に、民主主義を抹殺する政党」です。
憲法に書いてあることは、時の政権の宿題です。今でさえ、個人よりも、国や組織が優先されているのが、圧倒的な集団主義、猛烈な大勢順応主義が、日本の特色なんですね。それを時の政権が、自分の宿題である「基本的人権の尊重」を蔑ろにし、その「宿題」自体を台無しにしよう、ってんですから、宿題をやらない小学生にも及ばない、のは、白日の下に晒されてんのも同然でしょう。
私どもは、一秒でも早く、「基本的人権の尊重」を実現するようなリーダーを選び直したいものですね。
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