ロッテルダムのエラスムスと、ルターとは、水と油、仲が悪かった。
Young Man Luther 『青年ルター』p194の第2パラグラフから。
ところが、あるいは、マルティンは、エアフルトに歩いて帰る時でさえ、ルネッサンスの汚れた仕事をする準備があった、という人がいてもおかしくないんですね。それは、ルネッサンスに元々あった個人主義的な原理を、キリスト教が非常に強化した本拠地、すなわち、市井の人の良心に当てはめることによってです。ルネッサンスは、芸術、科学の人々に、広大無辺な自由をもたらしましたが、この人たちは、その果実、すなわち、美的、論理的、数学的な立証によって、自分らの作品を確かにしたのでした。
人は仕事ができると、それで人生も充実した感じを持つ場合がありますよね。それはそれで、尊いことでしょう。しかし、仕事ができることが、人として自分を確かにするものでしたら、その仕事を失ったら、どうですか? 自分を確かにする課題、それこそ、アイデンティティの課題そのものです。
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