神様のユーモア 自由な息吹としての笑い 改訂版神様のユーモア。この視点をくださったのは、東北大学で長く政治学を講じておられた宮田光雄先生です。中でも『キリスト教と笑い』です。また、先生の信仰著作集『宮田光...
ニッポンでは、病院でも、学校でも、児童施設でも、発達トラウマや愛着障害を知らないので、本来ならやってはならない「正しいこと」を押し付けるような、間違った対応をしている場合が、あまりにも多すぎます。
ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog より、p.205の最後あたりから。ブルース・ペリー教授が描く愛着障害の続きです。
ジェームズについて、セラピストがいうことも、母親がいうことも、反応性愛着障害の診断基準にピッタリに見えましたね。でもね、ジェームズの記録には、なんか変なところもあったんですね。ジェームスが病院とか、居住型の施設にいた時、ジェームズの行動には問題はなかったからです。ジェームズは、施設からの逃げ出そうとすることもありませんでしたし、「死んでやる」などと人を脅すこともありませんでした。ジェームズは学校では、他児に対する暴力が少しある以外は目立ちませんでしたし、いつも母親がこぼしているみたいなわがまま勝っては、学校ではありませんでした。また、別なこともありました。ジェームズの里親たちの行動が尋常ではなかったことです。ジェームズの里親は、ジェームズが約束したことを守らないと言ったら、「約束したでしょ」と言うのでした(当時ジェームズは施設に入っていましたけれども)。あるときなど、お父さんはお土産を買ってきて、何時間も待ってたんですからね、などと言うのです。スタッフの一人がジェームズのお母さんに面接した時は、お母さんは自分と自分の課題についてばかり目を向けているみたいで、繰り返しジェームズから引き離されたことを残念がりましたけれども、ジェームズが味わってきたことについては、コレッポッチも関心がないみたいでした。
ジェームズは、反応性愛着障害ではないようですが、その里親は、手を焼いていたのは事実です。しかし、里親の共感力、子どもの気持ちに寄り添う力、心の耳、≪聴く力≫の方が問題だったみたいですね。
とっても残念なことですが、これはジェームズの場合に限ったことではないんですね。金森俊朗さんのように、≪聴く力≫のある大人の方がむしろ極々少数派です。私も心理臨床をしながら、教員のコンサルテーションもするのですが、≪聴く力≫を感じる教員は、そんなに多くないのが現状で、トラウマをいっそう悪化させる「正しいこと」を押し付ける人の方が圧倒的多数派です。
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