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インターメッツォ: ナウェンさんの「新発見」 神から選ばれたバカ殺されるよりも苛酷な生き地獄 公平の原理だけだと、他者感覚は弱まっちゃう 公平であることは、人を大事にすることではない、ということでしたね......
今宵は,久しぶりに,The Galilean saying and the sense of "I" 「ガリラヤのイエス・キリスト物語と≪私≫の感性」 p.356第3パラグラフ。
このテキスト(『新約聖書』「マルコによる福音書」第4章30-32節,神の国は,種の中でも一番小さい,からし種から,大きな木が育つ,ということに,譬えられる,という物語)が,全体として物語ることは、テキストそのものです。しかし、ペリンは,このユダヤの物語の中に,1つのイメージを見つけました。そのイメージとは、高い木の枝に止まる鳥たちは、国々が,救世主が再びいらっしゃる未来に,人類共有の生きる場を見出した,その国々を象徴している,というわけです。このような譬えのおかげで,一番簡単で,一番具体的な礼拝を守ることよりも,限りない意味があることへと,意識がおのずから向いて行きますでしょ。つまり,一番の物知らずの人々に語りかける1つのイメージの中で,いまここにある現在から始まる未来を約束す約束を,いつでも強調していることに,意識が向きますでしょ。
エリクソンがハッキリと示しているように,神の国とは,いつでも,いまここから始まる,希望の未来を約束する約束です。
そのことは,私ども人間の心の習慣に,決定的な革命をもたらした,というのが,ルターとエリクソンと,ついでに,私の主張です。
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