宗教改革の仕掛け人として、歴史の教科書に必ず載っているルターが、境界例や、「口がきけない」、「言葉が出ない」、「悪魔憑き」、等と呼ばれていたなんて、驚きですね。そんな人がよく歴史上の人物になれたなぁ、って感心してしまいます。
私どもがこの噂の出来事を論じるのは、まず初めにルターの生活の中においてその場所に関してですし、第二に、ルターの人生のおいてその位置づけに関してです。
修道士のマルティンが、エアフルトの聖アウグスチノ修道会に入ったのは、21歳の時でした。激しい嵐の最中に、ひどい発作に見舞われた時の誓いに従って、彼は不意に、父親の許しもないまま、エルフルト大学を辞めてしまいました。マルティンは、そこでは、美術修士の学位を、大変優秀な成績で、受けたのでした。この修道士の背後にあったのは、何年もの、厳しい研究生活ですが、それは、彼の野心家の父親が払った大きな犠牲があって初めて、維持されうるものでした。父親にしてみたら、「この子に法律でも学ばせたい」と願っていたのでした。というのも、当時は法律家が、政権に加わったり、政治家になったりするための跳躍台となる職業だったからでした。マルティンの眼の前にあったのは、長年抱えていた、一番強烈な心の悩みでしたし、憂鬱なことが多い宗教的な罪の意識でした。こういったことが原因で、結局は、彼は修道院の生活を止めて、中世の教皇政治に対して挙って反旗を翻した時に彼が指導者になる前提になったのでした。次に、聖歌隊での発作がおきたのは、彼の人生設計が、父親がレールを敷いたものでしたが、お陀仏になった時でした。それは、彼の修道生活の状況が、「信頼が深まり」出した後で、彼自身にとって問題になった時であり、同時に、自分の将来が、いまだ子宮の中の暗闇にあった時でした。マルティンのこの将来が非凡なものであるのは、言葉の最も厳密な(それでいて一番曖昧な)意味で用いればの話です、つまりは、マルティンが、ある種のスピリチュアルな使命を一つ感じたからに他なりません。
親の敷いたレールから外れる時、育った家庭のルールを破る時、世間が示す成功の基準がバカバカしく思えるようになる時は、まさに、何らかのミッション・使命を感じる時なのですね。
それは、最近、TED(NHKの「スーパープレゼンテーション」と言うTV番組)で、Benjamin Zander ベンジャミン・ザンダー(11月10日、再放送)が、指揮者である自分の仕事が何をするものなのかを、深く理解した(realize)、そして、深く実現した(realize)時と、同じ道行きなのです。
そうなった時には、キラキラ、ピチピチが始まります。ベンは「輝く瞳 shining eyes」と呼んでいましたね。
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