エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

青年ルターの略歴と最深欲求

2013-11-13 03:33:13 | エリクソンの発達臨床心理

 

 ベンジャミン・ザンダーのプレゼンテーション、貼り付けておきます。

http://www.nhk.or.jp/superpresentation/backnumber/131104.html

一度ご覧になってください。

 この指揮者も、文字通り、思想家であると同時に、教育者であることがハッキリ分かります。大事なのは、キラキラ輝く瞳であることが、ハッキリ分かります。

 ルターは、悪魔憑きなどと言われていたのに、宗教改革の指導者になれたのは、スピリチュアルな1つの使命をルターが感じたからだと、エリクソンは言います。今日はその続きです。

 

 

 

 

 

 この若者を視覚化することは難しい。後に、非常に偉大になり、大きな成功を収めるようになるのは、滅びに自分の運命を賭けてみた数年後の話です。その滅びこそは、彼が後に偉大になるためのまさに試金石であり、条件でした。ですから、私はいつくかのデータを一覧表にして、読者の皆さんのお役に立てればと思います。

 

マルティンの若い時期の出来事

1483年 誕生

1501年 17才でエルフルト大学入学

1505年 21才で修士の学位取得。修道院に入る。嵐の日に修道院に入る誓いを立てる。

1507年 23才で司祭叙階。始めてミサを執り行う。深刻な疑念と良心の呵責に陥る。それが原因で、聖歌隊での発作をもたらしたのかもしれない。

1512年 28才で神学博士となる。ヴィッテンベルグ大学で詩編に関する講義を初めて行う。この地で「塔の天啓」を経験。

1517年 32才、聖歌隊の出来事のほぼ10年後、ヴィッテンベルグの礼拝堂の扉に、95カ条のテーゼを釘で打ち付けた。

 

 

 

 

 

 以上がルターの青年期の略年表です。

 学位を得て、司祭に叙階されたものの、心の葛藤、最深欲求は無くならず、むしろ深まったのでした。

 

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