2013-09-15 03:17:41 | エリクソンの発達臨床心理
アメリカは、自主独立の人を創りだす遊び場であり、実験場である、というのは、新しい国ならでは、なのかもしれませんね。
そのアメリカに渡ることの意味を考えます。
おととい、このブログで、「母親の献身」は「最も誠実な約束を、忠実に履行したものではないでしょうか」と申し上げましたね。しかも、それは「一方的な≪約束≫」でもあるんですね。
「一方的な≪約束≫」とは聞きなれない言葉かもしれません。でもね、昔、世界史の授業で習ったことがありませんでしたか? 封建領主とその家来との関係について、ヨーロッパでは、双務的契約で、日本では、片務的契約、と。 ヨーロッパでは、主君も家来も義務を負う。しかし、日本では家来のみが義務を負う、というわけです。「一方的な≪約束≫」は日本型ですね。
この「一方的な≪約束≫」をするのは、見返りもなく義務を負うのですから、損ですね。「母親の献身」で言えば、母親が損をして、赤ちゃんが得をする関係ですね。赤ちゃんが願った時に、「おっぱい」を貰ったり、「オシメ」を替えてもらったり、「あやして」貰ったりするわけですからね。母親は、見返りを求めずにこれをするわけですね。敢えて申し上げれば、赤ちゃんの微笑み、「自発的微笑」が、見返りと言えば言えなくもありません。でもね、その見返りがあるから、「母親の献身」がある訳ではありませんでしょ。ですから、「母親の献身」は「一方的な≪献身≫」、損をする関係なんですね。
母親はわが子を大事に思うからこそ、「母親の献身」ができるんでしょ。その結果、赤ちゃんは≪信頼≫≒≪愛着≫を身に着けることができる訳でしょうね。母親が損をしても、関わりってくれるから、赤ちゃんは悦んで、≪信頼≫と≪愛着≫を育むことができます。
この母親はアンパンマンと同じだと分かりますよね。アンパンマンが一才、二歳くらいの子どもに特に人気な理由も変わりますね。
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