根源的信頼感は、春先に春を待つ気持ちに近い。
Young Man Luther 『青年ルター』p216の第2パラグラフから。
自我が超自我を上手く抑えている心の状態が主流になれば、悪い良心が現にバラバラにしたものの対立に、和解をもたらすかもしれません。すなわち、自我が力を持つとき、ホリスティックになりますから、対立するものを弱めることなく、対立に調和をもたらしてくれます。自分を取り戻すとき、ルターは(ガマンするのが当たり前の心の状態から回復した人みたいに)、圧倒的な全体主義に頼るようになり、そこから、健全で尊い新たな全体性の基盤となるものを引き出しました。この健全な人は、調和を採りつつ酸いも甘いも知る人です。すなわち、私どもは、ルターが示してくれるように、全くの的外れな人であり(totus homo peccator 「完全に的外れな人」)、同時に、全くの価値ある存在であり(totus homo justus 「完全に正しい人」)、いつでも、呪われると同時に祝福され、生かされていると同時に死んでいます。
こういった二律背反に調和をもたらすことは、簡単ではありません。ルターは、それを自我が超自我に勝る点に見出したみたいですね。特に悪い良心から解放されていることが大事だと考えていたようです。そりゃそうですね。
キーワードはホリスティック holistic 日本語にならない言葉のひとつです。しかし、whole 「全体」が、all 「すべて」や、holy 「尊い」 heal 「癒しをする」、 helth 「健全」と同根で、その意味も含んでいる、ということです。
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