愛着障害 カウンセリングはこれだぁ その5交換価値 < 人間らしさ 上辺だけで人を大事にするフリをするのは、人を大事にすることに心を籠められないから。それは本当に自分が大事にされたこと......
戦後民主主義教育の出発点と、その後の変節について、以前、鶴見俊輔さんの文書をこのブログに乗せたことがあります。それは、インターメッツォ : この先生とともに学校にいるよろこびです。次のように文章です。
「敗戦後に、山形県の苦しい生活状況の中で中学校教師だった無着成恭は、この先生とともに学校にいるよろこびを生徒たちと分かち合えた。「やまびこ学校」という記録からそのことがうかがえる。
無着の教育観は、敗戦直後も今も変わっていない。敗戦から遠く、経済大国になった日本が無着の教育方針を受け入れなくなっただけである。」
不登校の数は、右肩上がり。いろんな要因を指摘する人がいると思います。だけれども、戦後民主主義教育の原点にあった「この先生とともに学校にいるよろこび」が急激に減って、「こんな教員と一緒にいるのは、マッピラゴメンだ、という嫌気」が急激に増えたからだ、と私は考えます。9月1日が,子どもが自殺するピークになるのは,いじめっ子のせいではありませんからね。学校が変節して,「こんな教員と一緒にいるのは、マッピラゴメンだ」からですね。
ですから、不登校する子どもの方が、極めて真面、というケースが少なくありません。
私どもは、無着成恭さんがやってたみたいに、「この先生とともに学校にいるよろこび」のある学校を、この日本に再生させることが、今こそ必要です。
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