信頼はあらゆる発達に先んじます。信頼のない者の発達は、エリクソンの言葉で言えば「偽りの前進」です。
Young Man Luther 『青年ルター』のp186の第2パラグラフから。
聖トマスは、建築学的な思想家ですし、彼自身が神のメッセージがそこにあることが分かる秩序を表現する人でしたが、その聖トマスが、中世において、自分を確かにする道を最もうまく表現した人でも、また、あるのでした。すなわち、堂々としていて、それでいて、細かいところまで行き届いた様式です。この様式では、カテドラルは、永遠を示すために作られ、儀式は、特別な場の小宇宙の中に、神の秩序を寓話化するものです。
カテドラルも、儀式も、その意味するところは神聖です。カテドラルも、儀式も、それに触れるものは、いつでも、その神聖な意味を繰り返し味わうことができます。しかし、これがいつでもできるものであると同時に、いつでも忘れ去られるものでもあるものなんですね。
そのどちらを選択するかは、ひとりびとりに委ねられています。そこに自由がある訳ですね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます