星や虫や鳥の名を知らずとも、自然を “感じる” ことができますし、自然を “感じる” ことが何よりも大事なんですね。
The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p94の第2パラグラフから。
名前を当てる遊びの価値があるとしたら、それは、その遊びのやり方次第だ、私は考えます。もしも、その遊びが目的そのものであれば、その遊びにさ程役立たないと思います。見て名前が分かっているのに、いのちの不思議を、心ふるわせながら感じることが一度もない、ということもありますからね。
知ると言っても、
いのちの不思議を、
心ふるわせながら感じて知る
のと、
冷たく突き放して知る
のとでは、大違い。
教育と言っても、
いのちの不思議を、
心ふるわせながら感じて教育する
のと、
冷たく突き放して教育する
のとでは大違い。
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