ちょっと広めに射程をとって、妥当性を見つけるのが、臨床の中に法則を見つけ出す、ほとんど唯一の方法だというのが、エリクソンの見方です
本物の農民達、ドイツ語でrechte Bauernと、ルターは父親や祖父のことを呼びますし、ルターを一人の農民、ないしは、一人の農民の倅と呼ぶのが習わしです。ごく最近の諸研究でも、ルターは生涯にわたって農民の生活に対する郷愁があり、子どものころ、農民生活を楽しんでいたと、述べています。しかし、ルターの父親は、ルターの思い出の中では、農民の生活をしたことが一度もありませんでした。マルティンは、ドイツの農民の生活が当時、均質性があったのかどうか全く知りません。反対に、ルターは、農民出身2世でしたが、私どもはアメリカにおいて、移民2世について少し学んできました。マルティンの父親は、マルティンが20代前半に、チューリンゲンの祖父の農場を離れなければなりませんでした。上の男兄弟は、下の男兄弟に父親の農場を譲らなくてはならないという掟がありました。つまり、上の男兄弟が弟の分益小作人となってから、他の農場に養子に行くか、それとも、農場を離れて、他の仕事を探すかなのです。ハンス・リューダーは、鉱山で働こうと決心して、アイスレーベンに婦人とともに転居しました。その夫人はここでマルティンを身ごもります。マルティンが生まれて半年、ルターの家族は、今度はマンスフェルトに再び転居し、豊かな銅と銀の鉱山主になったのです。
マルティンの父親はもともと貧しい農民でしたが、故郷を離れて転居を繰り返したのち、お金持ちの鉱山主になりました。ルターは、貧しい農民の息子としての背景を持ちながら、金持ちの鉱山主の息子でもある、というに二重性の中に生きることになります。
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