昨日の朝日新聞の「論壇時評」・高橋源一郎「ひとりで生きる 新しい幸福の形はあるか」は、いつもながら、注目に値する記事でしたね。
http://www.asahi.com/articles/DA3S11051074.html
高橋源一郎さんは、私はそんなに著作を読んでいるわけではありませんが、視点が私に近く、非常に共感することも多いし、読んでいて、善い学びになります。
今回の「論壇時評」は「ひとりで生きる」ことがテーマです。貧乏な暮らしをしている高齢者が、イキイキと暮らして、≪ひとりの自由≫を謳歌している一方(都築響一『独居老人スタイル』)、『黒子のバスケ』脅迫事件の被告人が、お門違いと知りながら、怒りを『黒子のバスケ』の著者にぶつけて、事件を起こしています。その背景を高橋源一郎さんは、この被告人が一人であることが、「不安に突き落と」されていること直結することに、見ています。そして、両者の差がなぜ生じるのかがわからない、とも述べています。
もちろん、これは読者に問題提起していることに、間違いないのですが、私は臨床心理学徒として、一言述べておこうと思います。
独居老人スタイルの人たちは、貧乏していても、子どものころに母親などから相手にされて、大事にされて、価値を認められてきたので、「一人でいられる」のです。これが一人の恵み・自由であるソリチュードsolitudeですね。
他方、『黒子のバスケ』脅迫事件の被告人は、子どものころから、相手にされることもなく、大事にされたこともなく、したがって、存在価値を認められたことなど一度たりともないのですね。ですから、一人でいることは、寂しく、不安で、自分に価値がないことの証明になっているのです。これが、ロンリネスlonelinessですね。
このブログの読者には、2013-04-01 ~2013-04-06 を参照いただきたいのです。幼児前期の部分の翻訳になります。
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