高橋源一郎さんの論壇時評「ひとりで生きる」とフロムも、テーマがかぶっていることにお気づきでしょうか? エリクソンが幼児前期について述べていることは、もろにこのテーマといってもいいでしょう。また、イギリスの臨床心理学者・精神分析医のウィニコット(D.W.Winnicott)も同様のテーマを大事にした人でしたね。彼は「一人でいられる能力」(The Capacity to be Alone)という文書を1958年に書いているほどです。
ついでに、申し上げれば、私が「相手にされない」と訳している言葉ですが、これはseparatenessです。「孤独」と訳されることが多いのですが、私は「相手にされないこと」と訳しています。
その(どうやって、相手にされないことを克服し、どうやって連帯を達成し、どうやって自分の個人の生活を乗り越えて、一致を見出すのか、という問いの)答えは、ある程度、一人の人がどれだけ「自分は人と違っているのか」にされているか、によります。赤ちゃんの時は、「本音の自分」がハッキリとしていますが、でも、ほんのちょっとです。赤ちゃんは、まだ、お母さんと一心同体と感じていますから、お母さんが目の前にいれば、相手にされていないという感じを全く持ちません。相手にされないという感じは、お母さんが、おっぱいが、物理的に目の前にいれば、吹っ飛びます。ただ、その子が「相手をしてくれないな」「一人ぼっちだな」という感じをどれだけ募らせるかは、その子のお母さんが目の前にあんまりいてくれないことによりますが、その際は、相手にされないという感じを乗り越える必要性が、別の形で生じてきます。
赤ちゃんの目の前に、お母さんがいること、それが最も大事でしょうね。しかし、日本ではそれが困難な場合が少なくありませんね。それが日本の貧困の始まりです。フロムがここで述べているように、理屈ではないのですね。赤ちゃんの目の前にその子のお母さんがいること、それが最も大事なことなのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます