馴れ合いの反対は、「真(まこと)」の関係です。「真」は関係性の誠実さです。相手のことを利用しよう、利用することで、自分が得しようとは考えない。そうではなくて、相手が自分自身であることを尊重するからこそ、「2人は1つであると同時に、ひとりびとりのまま」、であることができるのですね。p.19の下から二行目から。
私どもが「真は一つの活動でもある」とするなら、「活動」という言葉の意味があいまいだ、という難しさに出くわします。今「活動」という言葉を使う時、それは元気に動くことによって、暮らしが変わることを意味します。このように、人が活動的だとみなされるのは、ビジネスをしている場合もあれば、医学研究をしている場合もありますし、終わりの見えないベルトコンベアーの仕事をしている場合もあれば、テーブルを作ったり、スポーツをしたりする場合もあります。こういった活動すべてに共通するのは、どれもが表向きの成果に目が向いているっていうことです。「見向きもされない」のが、“動機”です。たとえば、サービス残業は、実はとっても不安だからしてる人や、とっても寂しいからしている人か、あるいは、野心やお金のためにサービス残業をしてる人のことを考えてみましょう。こういった場合はすべて、ご当人は、欲の奴隷です。ご当人は、駆り立てられてやってる限り、「仕方なくやらされてる」訳です。こういう人はいやいややらされているわけで、「イキイキ、ピチピチ、働いている」のじゃありませんね。
段落が長いので、真ん中で今日は終了。
皆さんどうですか?
なんのために働いていますか?
分からないなんて、そんなのは嫌じゃないですか?
あっ、どっかで聞いたことあるな?
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