インターメッツォ: エリクソンの叡智: 子どもが「出来た」と言わんばかりの顔をする時心の病は、ウソとゴマカシから 改訂版 プレイフルな関わり 改訂版 楽しい時間、と言ってもピンとこない人もいるんでしょうか? 子どもと毎日接......
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Toys and Reasons 『おもちゃ と 賢慮』から,p.56の第2パラグラフからです。
#日常生活を礼拝にすること #互恵的に認め合う場と見通し #陽気で楽しい恵みの時空
の続き。4訂版。
そこ(この本の第二章)では,私どもは,子どもの頃以降の楽しみについて議論するつもりです。その楽しみは,最も根源的でしかも独創的な形のやり取りのある遊びで,友好的なやり取りと敵対的なやり取りとの境目にある遊びです。ところが、やり取りのある遊びを礼拝にするパターンが長続きする値打ちがあるかどうかが明らかになるのは、陽気で楽しいってことが、生涯を通して、イキイキ、晴れ晴れと生きていることと「イコール」であり、陽気で楽しいことがないと、特定の生き方、生きているのに死んだようになってしまう、という確率が極めて高いことを,十二分に理解して初めて可能なのです。生まれてすぐの赤ちゃんの頃には、母親が相手をしてくれないと、母親は「自分を見捨てた人」として、経験されてしまいます。それは、赤ちゃんがやり取りのある遊びを呼び覚まそうとする思いがくじかれてしまうと,私どもは「死んじまえ」と死刑宣言されたも同然です。つまり、芽生えたばかりの自覚的な≪私≫と,生まれたばかりの≪私たち≫の感性もまた、死んだも同然です。やり取りのある遊びがまるでないことの最初の兆しは,(スピッツもまた,ハッキリ示している通り)ガッカリして引っ込み思案になったり,病気に対する抵抗力さえ弱くなったりすることです。さらには,信頼することが賢いと思うのは,子どもの無意識の中に,赤ちゃんの相手を心から歓んでしないのが習慣になっている母親は、危険で敵意のある相手となり,赤ちゃんの相手を心から歓んでしない母親の眼差しは、悪魔の眼差しになる,ということです。
日本で発達トラウマ障害の子どもが溢れているのは,母親は特に低賃金長時間労働のために,赤ちゃんの相手を心から歓んでしないのが習慣になっている母親があふれているからです。
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