ベリート=相手が得する一方的約束「ねばならない」の真面目人間は、河合隼雄先生が言う遊びが少ない大人です。創造的なことはしにくいわけですね。悦んで何かを楽しむことが少ないからですね。なぜなら、創造的なこ......
2014年4月27日、マイケル・サンデルさんが、「マイケル・サンデルの白熱教室 これからの学校の話をしよう」と題して、教育の話がありました。ご覧になりましたか。
その中で中学生の男の子Hiro君が、「教師は生徒たちに、『こうしなさい』とか『あーしなさい』とか、強要するから、教師にはなりたくない」という意見を言いました。それを受けて、サンデルさんが、38年間教師をされた、金森俊朗さんに意見を求めました。その時の金森俊朗さんの言葉は、大事ですので、その言葉に耳を傾けたいと思います。
(ニッポンの教員は)強制することが多いと思います。二ッポンで「教える」という漢字「教」は、「手に鞭を持っている」という文字です。ところが、「学ぶ」という漢字「学」は、「教える事柄を、両手で子どもに差し出す」という意味です。ニッポンの学校は、どうしても、学ばせる、教え込む、という要素が非常に強いんですね。… “『本、読みなさい』という先生は信じるな“ 。 本を読んでる教師は、本を持ってきて、題名を言って、『この本、面白いよ』、『この作家、僕好きなんだよ』っという風に、言う。でも、残念ながら、そういう(後者の)先生は、とても少ない」
コナーに関わった時の、ブルース・ペリー教授は、まさに、この後者の教師ですね。セラピーのチャンスを提供するけれども、決して、セラピーを「強要」することはありませんでしょ。
金森俊朗さんがおっしゃるみたいに、「強要」する教員、手に見えない鞭を持つ「教」派の教師が、圧倒的多数派で、「学」派の教師は、極めて少数派です。
私の意見を次の2点に今回は集約してみました。
1) 「教養」がない教員程、子ども等に「強要」するダメ教師。
同じことを別の言葉でいうと、
1´) 「無知」な教員程、「無恥」な教員程、手に鞭をもって、子どもを、人をコントロール、支配しようとするダメ教師。
これだけじゃぁ、寂しいでしょうから、次も。
2) 教養と内省のある教員程、ひとりびとりの≪自由≫を尊び、≪学ぶ喜び≫を子ども等にプレゼントしたいと願う、真の教師。
peace ✌
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