エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「悪い子という感じ」とエディプス・コンプレックス

2013-04-12 02:49:57 | エリクソンの発達臨床心理
 前回は、子どもが自我理想の中で、理想の役割と悪者の役割のバランスを取っていることを、エリクソンは教えてくれました。
 今日は、Toys and Reasons のRitualization in Everyday Lifeから、幼児後期の部分の第6段落と第7段落です。それでは翻訳です。






 しかし、漸成発達説に注意を向ければ、筋立てを作る要素が、ヌミノースの要素と分別の要素に入れ替わらないこの漸成発達の中では、筋立てを作る要素は、ヌミノースの要素と分別の要素に合流します。それは、ちょうど、筋立てを作る要素が、生育歴を逆にさかのぼられる要素、すなわち、行為と献身という、学童期と青年期の儀式化の要素にさえ頼らなければらならいの同じです。いかなる儀式、儀礼、公式行事も、筋立てを作る要素なしには、成り立ちません。
 運命を決する「悪い子という感じ」のテーマは、すべての儀式的行事において、支配的なもう一つのテーマになります。他方、その「悪い子という感じ」のテーマが、大きな悲劇の中で本領を発揮します。おもちゃの舞台の上での遊びと、演劇や公式行事の中で上演される劇には、共通するテーマがあります。実際にそのテーマに引き付けられて、フロイトは、遊びの時期の子どもが心の中に「悪い子という感じ」を星座のように配置する有力な傾向に対して、悲劇の主人公、エディプスと名付けています。なぜなら、遊びの時期の子どもの空想生活を支配するあらゆる構想に中で、同性の親に似るのではなくて、同性の親に、実際なり替わろうという考えは押しなべて、考えうる他の役割を犠牲にするものとして、タブーに必ずなるからです。





 これで、幼児後期の部分の第6段落と第7段落の翻訳は完了です。
 いわゆるエディプス・コンプレックスが出てきました。年中さんか年長さんの頃の子どもは、僕は「悪い子なんだという感じ」が星座のような配置を心の中に知らず知らずのうちに作って、いっぱいになるのに、それが同性の親になり替わる、タブーの空想と結びついて、苦しくてたまりません。それがエディプス・コンプレックスです。
 本日はここまで。
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