昨日、2年前のブログ「「新しい人」になれた! 子どもの笑顔 大江健三郎」の人気がたまたま良かったので、それを原文で読み返してみたんですね。2番目に翻訳したSeeing is Hoping「見て知るは望見ること」の1節ですね。遊びの定義として、プラトンの「跳ぶこと」が出てくる文書でした。
これを訳したときには、あまり気付かなかったものの、今回読み直してみて、改めて気づいたことがありました。
それは、5才の黒人少年のロバートの積み木を分析する件です。ロバートの積み木遊びは、1つの実験だというんですね。何の実験かと言えば、「自分を確かさせる道」を新たにする実験だという訳ですね。ここまでは、分かっているつもりでした。今回改めて読んで気付きを与えられたんですが、その「自分を確かにさせる、新しい道」には、a new sense of community 新しい仲間意識が伴う、ってわけなんですね。この「新しい仲間意識」が新鮮でしたね。
これは、内的なことと、外的なことが繋がっていることを示していると考えます。言葉を換えますとね、心の中で受容できる部分が広がれば広がるほど、心の外側で、仲間として受容できる人の輪も広がる、ということです。だから、自分を確かにする道が新しくなれば、新たに受容できる人の輪も広がりますから、「新しい仲間意識」が生まれるという訳ですね。
このブログで繰り返し申し上げているように、人は「人間を上下2つに分けるウソ」に陥りがちですし、その毒にやられがちです。些細な諍いから、ジェノサイド・戦争に至るまで、この「人間を上下2つに分けるウソ」が無意識に関わっていないケースなど、ありゃしません。人は意識しなければ、すぐに「人間を上下2つに分けるウソ」に毒牙にやられます。「自分を確かにする、新しい道」は、意識の深まりに伴うものですから、それだけ「人間を上下2つに分けるウソ」から解放されて、拡大された「新しい仲間意識」が生じた、と言い換えることもできるでしょう。
私にとって、エリクソンの文書は、何度読んでも、新しい気付きを与えてくれる、宝の山です。
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