≪与えることの不思議≫。面白いですね。貰うつもりのない人が貰い、貰いたくて仕方がない人は貰えない、なんてね。今日は、p23の下から、10行目途中から。
与えることにおいて、なにがしかのものが生まれます。与える者も与えられる者も、2人にとって、産んでもらった人生に対して感謝の気持ちが湧いてきます。≪真の関係≫(関係に対する誠実さ)に関して特に申し上げれば、つまりこういうことです。 ≪真の関係≫(関係に対する誠実さ)は、≪真の関係≫(関係に対する誠実さ)を生み出す力である、ということです。関係に対して不誠実だと、≪真の関係≫(関係に対する誠実さ)はもらたしません。この考え方について、マルクスが巧いことを言っています。「人間を人間として、世の中に対する関係を人間らしい関係として仮定するならば、≪真の関係≫(関係に対する誠実さ)はね、≪真の関係≫(関係に対する誠実さ)とのみやり取りできるし、信頼はね、信頼とだけやり取りできるんだね。そのほかのことだって、一緒だよ。もし芸術を楽しみたいなら、芸を極めた人にならなくちゃね。他の人に影響力のある人になりたかったら、他の人を元気にしたり、他の人が得になることを実際に出来る人にならなくっちゃね。人間や自然に対する関係ってね、自分の意識が向かっている対象に対して、実際に、自分がどう生きているのか、生かされているか、その命をハッキリあらわすものになっちゃってるんだよね。もしも相手を大事にしているつもりで、≪真の関係≫(関係に対する誠実さ)をもたらさなかったのならば、つまり、自分が≪真の関係≫(関係に対する誠実さ)だとおもっていたものが、≪真の関係≫(関係に対する誠実さ)を生み出さなかったならば、≪真の関係≫(関係に対する誠実さ)を大事にする人として、「命を表現すること」によって、自分を、≪真の関係≫(関係に対する誠実さ)を大事にする人にならなかったら、あなたが≪真の関係≫(関係に対する誠実さ)と思いこんでいることが、ダメで、間違っちゃってるからなんだね。」 だけど、与えることが貰うことっていうのは、≪真の関係≫(関係に対する誠実さ)の専売特許じゃありませんね。教師は生徒たちから教えて貰えますし、役者は聴衆から元気を貰いますし、セラピストはクライアントから癒しを貰います。それぞれが相手をモノ扱いするんじゃなくって、お互いに自分との対話を誠実に、創造的にしてれば、自ずからそうなりますね。
フロムも、透徹した人間観察者ですね。
それにしても、マルクスがこんなロマン主義のことを言ってるなんて、ちょっと意外ですね。でも、このマルクスの言葉は『マルクス・エンゲルス全集』第一巻(大月書店)に出てくるそうです。
ここのところは、私なりに申し上げれば、次のようになります。
子どもとやり取りが生まれないのは、子どもとの関係が、≪真の関係≫(関係に対する誠実さ)ではないからなんですよ、ということです。
それは同時に、仕事に忙しくて、自分との対話を忘れてしまって、「心無い大人」になっちゃってるからなんですよ、ということです。
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