#エゴ #生きている実感が続く生き方 #恵みの源
#聖書の言葉 #1人豊か #呼び声 不安な母親でも、いい母親になれる条件 人生は、やっぱり、悲しすぎる? 人類滅亡を覚悟できない場合は、核を使うな! ......
「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
Toys and Reasons. 『おもちゃ と 賢慮』から。
p.46のブランク下の,最後の行から。
シカゴのシンポジウムで,ルネ・スピッツは,自分とデンバーの仲間たちの最近の観察と考察について報告してくれました。それは赤ちゃんの中で,実感が体得底で最初に生まれる時の,視覚の役割に関する報告でした。視覚のギフトは,他の五感,味覚・聴覚・嗅覚・触覚から得るお知らせを味わう時に最初の役立つことにある,とスピッツは教えてくれました。「視覚は,赤ちゃんが育つ世界,そこはもともと,聖書の神様と共に見る見方が支配的でしたのに,その赤ちゃんが育ちの世界の中に,新しくて,人生を左右する,聖書の神様に背く見方をもたらします。聖書の神様に背く見方のおかげで,その子どもは時間も空間も永遠に続くと思うようになります」。スピッツが言うのには,3か月までの間に,赤ちゃんは見てわかることが育って,一纏まりの景色を覚えていられるまでになる,ということでした。つまり,その赤ちゃんが見た景色が,いまここで,口が満足したことや五感が満足した,生かされている歓びと一体となって,いつまでも続きます,ということでした。つまり,赤ちゃんが目で掴み取った様々な景色は,口周りや五感が満足して,赤ちゃんが実感した生かされている歓びと一体となり,いつまでも続く,という理に適っていますし,聖書の神様の生き方にも適って,不動にされた,その判断には,聖書の神様からの力があるのです。赤ちゃんが実感した生かされている歓びは,おっぱいをもらうこと,抱っこしてもらうこと,肌と肌が触れ合っていること,お尻をサッパリにしてもらうこと,「聖書の神様のいのちが一巡する結界にピッタリとはまり込むこと」からくるんです。このように,様々な場面でお母さんが赤ちゃんよりも下に立ってくれるお陰で,お母さんの顔は,赤ちゃんの探している2つの眼に「光をプレゼントする」ことになります。そのようにして,その母親も,私は私の赤ちゃんの「聖書の神様のいのちが一巡する結界」にピッタリな最初の相手になれた,と腑に落ちることができます。それに,赤ちゃんが2つの眼を見開いておっぱいを飲むと,オッパイをしゃぶりながら,お母さんの顔をじっと見つめるものでしょ。このようにして,赤ちゃんが眼にしたものが,感覚とアタッチメントの場を纏めるために、出す時だけでなく受け容れる時に道しるべになる最大の物差しになります。
不思議なところの更なる続きです。
赤ちゃんが眼にしたもの,お母さんの顔に,心から優しい微笑み,おっぱいのにおい,自分の名前を呼ぶお母さんの声,肌の温もり…がある赤ちゃんは,生かされている実感が漲る人生を歩むことができます。
赤ちゃんが眼にしたものに,お母さんの顔があまり出てこない場合…。生きている実感のない発達トラウマ障害になります。
赤ちゃんが眼にしたものが,その後の人生を左右する,無意識的な最大の物差し,アタッチメント(のなさ),信頼感(不信感)になります。
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