現世考: #情報公開 #大泥棒の巻 #儲かりまっせの仲間たちいつでも、希望はそこにある 自由にされること ルターの場合 精霊は場所を選びません。 Young Man Luther 『青年ルター』p20......
ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』
6章。「身体を失くすと,本当の自分も失くすよ」,p.94,第2パラグラフから。
前頭前野の活動が働かないのは,トラウマを負わされた多くの人が,目的意識がなく,方向感覚もないことと符合します。私がいつも驚かされてきたのは,私の患者さんたちが当たり前のことを私に訊いて,アドバイスしてください,と言ってくるのに,そのアドバイスに従えないからです。今では分かっていることですが,トラウマを負わされた人たちは,腑に落ちて分かる関係を失ってしまっているんです。
「腑に落ちて分かる関係」と訳しておきましたが,「生きている実感と結び付けて物事を理解すること」と言い換えられると思います。
吉本隆明さんが,戦争中,政治や軍部や学校のやることが「腑に落ちない」と感じることがままあったが,それは脇に置いて生きていたことを,敗戦後に反省して,二度と腑に落ちないことをごまかさないで生きよう,と決意したといいます。
でも,戦後から今の今の ニッポンでは,そういう「腑に落ちて分かる関係」,「生きている実感と結び付けて物事を理解すること」は,蔑ろにして,あるいは,一先ず,脇に置いて,生きているのが普通でしょ。
我らニッポン人ひとりびとりが,異常な生き方,発達トラウマ障害の人たちと同じ異常な生き方をしていることを示しています。
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