反抗があって、はじめて、物事は刷新されるもの。何かを新しく、人間らしいものを作り出そうとすれば、必ず反抗がなくてはなりません。法政大学の山口二郎教授も、同じご意見ですね(http://yamaguchijiro.com/?cid=10)。
今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.263の、3行目から。
人間にとって重大な問いは、幼い子どものしつけで、子どもの無力さと道徳的な敏感さを、どの程度利用して良いのか、あるいは、それに付け入ってはならないのか、ということです。付け入りすぎれば、自分は悪くでダメだという、根深い感じが避けられなくなりますからね。なぜなら、このような、自分は悪くでダメだという、根深い感じこそ、終いには、「正しいこと」をやってますと口では言いながら、口裏を合わせてコッソリと悪だくみをする結果になりかねませんからね。
エリクソンは、やっぱり人間の心を深く知ってますでしょ。堂々と悪いことをすることは稀で、悪いことの多くは、「正義」の名のもとに、口裏を合われてコッソリやるものだからです。それは、あの勘違いの大学教員や、大川小学校の教育委員会から、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちはもちろん、会社や役場の小役人たちまでが、「人類に対する犯罪」をする時の常套手段です。
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