発達トラウマ障害(DTD)の子どものセラピーに必要な慎重さと賢慮子どものわがままにどう応ずるかで、天地の差が出ます。 礼拝は民主主義に似ている。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡......
今朝の聖書の言葉は,「関係を自分から始める」です。昨日の聖書の言葉の,「発達トラウマ障害の子ども」 も,かなりの方に読んでいただけたのが,また,よかったですね。
昨日,Young Man Luther を読み直す必要があって,ノートを確認しながら,読み返していて,思い出したのが,この 関係を自分から始めるめる,διατίθεμαι,ディアティセマイ,でした。これのもともとの意味は,「人間が得する関係を,神様が一方的に始める」というものです。ギリシャ語の辞典を読んでも,専門の言葉にどうしても流れるきらいがあって,わかりづらい。「人間が得する関係を,神様が一方的に始める」とした方が,はるかに分かりやすいし,実際,的確です。ここでは,その主語は,あくまで神様で,人間様ではありません。
それで,その人間版が,あるんですが,人間が主語になると,「遺言を残す」という意味にもなる。相続人の,子や孫の意向とは関係なく,おじいさん,おばあさんがなくなる前に,自分の一存で,遺言をどうするのか,決めていいわけですね。
そのほかのδιατίθεμαιの意味が,関係を始める,関係を思いのままにする,という意味になります。遺言も,関係を自分から始める一つでしょ。ここだけ読むと,我がまま勝手,と誤解しちゃうでしょうね。でも,そうじゃぁないですね。遺言だって,我がまま勝手なわけじゃぁないでしょ。この思いのままにする,というのは,もっとわかりやすく申し上げると,「神様との関係を真実にして,その他の関係を思いのままに自分から始める」,あるいは,「自分にウソをつかずに,関係を自分から始める」という意味です。というのも,このδιατίθεμαιは,その名詞形が,(相手が得する一方的な)約束を意味する,διαθήκη,ディアセケー,なんですからね。
そして,「神様との関係を真実にして,その他の関係を思いのままに自分から始める」,あるいは,「自分にウソをつかずに,自分から関係を始める」という意味のδιατίθεμαιは,エリクソンのライフサイクルの表の3番目,「a sense of initiative 自分の感性に従って,関係を自分から始めてもいい感じ」と全く同じです。
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