2013-08-04 01:49:20 | エリクソンの発達臨床心理
エリクソンに対する、心無い疑いに対して、エリクソンは、自分の役割をハッキリと明確に示すことで応えます。私は想像しています。エリクソンは、子どもとの臨床をたくさんやった人です。エリクソンはその子どもとの関わりにおいて、積み木遊びなどを通して、陽気で楽しい関わりをしながら、儀式化を行っていたはずです。その儀式化によって、その子どもが、新たな見当識、新たなヴィジョンを感じ取って行った時の、溢れるようにキラキラした笑顔、その笑顔に繰り返し出合うことができたことでしょう。それは臨床家としては、またとない喜びですから、そこに手ごたえを得ていたのでしょう。実際6月24日に翻訳した「遊びの治癒力」のところで、エリクソンは「子ども達が、独創性と完成度を備えて、ものを見、話し、遊び、活動するのを見ると、心の根っこから湧き上がるような喜びを隠そうと思っても隠し切れないものです」と記していましたね。
今日は、そんな疑いがあっても、儀式化はドッコイ生き残れます、というお話です。
現代の礼拝は、楽しく陽気な関わりであり、悦びに満ちた生き方であることを申し上げてきましたね じゃぁ、その反対は何なのか? それは文字通り、お役所仕事です。
先日聞いた話です。そこは、津波でやられた地域です。お百姓をしているそのおばあちゃんと、おじいさん。「今立ち退きを求められている」というのです。私は「なんで?」と伺いますと、今度近くの橋が改修されるときに、橋とその橋に繋がる道が広がって、そこにも橋が伸びてくるので、立ち退き請求されている、というのです。
そのおじいちゃんが言うことです。「津波にあえば、住宅再建の支援もしてもらえる」、「だけど、立ち退き請求されたら、橋や道にかかる土地しか買ってもらえんから、家の再建もできるかどうかだ…。」「お役所のやる方が、質が悪い津波だよ」。
私は、傾聴に値する、真面目に暮らしを立てて来た、1老人のお話だと感じましたね。
津波よりひどい「お役所仕事」。
丸山眞男教授が権力を分析した「無責任の体系」。今もしっかり生き残っていることが、こういう話からも分かりますでしょ。それは、ハンナ・アーレントが言う「無人支配」でもある。特に日本のお役所は、定期的に人事異動がありますから、お役所に行くと「去年は別の人が担当でしたから、よく分かりません…」などということによく出くわしますでしょ。「言われたことだけやる」のが、日本のお役所仕事の典型的な働く方だから、事務的、セクショナリズム、冷たい仕事、市民の話をバカにする態度、などの特色がありますね。それだかこその、無責任、誰がやっているのか、よく分からない体制です。
関わりの中で陽気で楽しいを旨とすること、悦びに満ちた生き方によって、感化していくことは、このお役所仕事の対極をなして、人々の生活に、政治と民主主義を取り戻すことに繋がるものとなるでしょう。
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