人を大事にするためには、自分との和解がなければできません。自分との和解から逃げていると、自分の子どもでさえ、大事にできない。
p59の冒頭から。
神の≪真≫
これまで申し上げてきたことですが、≪真の関係≫を結ばなくてはならないことの基盤は、≪相手にされなかった≫経験と、相手にされないかもしれないという不安を、連帯することによって克服しなくちゃならない、ということにあります。≪真の関係≫の宗教上の形は、それは、神の≪真≫と呼ばれますけれども、心理学的に申し上げれば、違います。≪真の関係≫の宗教的な形は、≪相手にされなかった≫ことを克服し、連帯しなくちゃならないことから生じています。事実、神の≪真≫は、人間の≪真≫とは異なる性質と側面がたくさんありますし、同じ相違点があることに、大いに気づきます。
神の≪真≫は、人間業ではないので、その違いが強調されることも少なくない。しかし、人間の≪真≫と共通点があるというのも、また事実です。今日のフロムはそのことを言っているようですね。
それにしても、≪真≫ないし≪真の関係≫は、幼いころの≪相手のされなかった≫経験と、それにまつわる様々な情動を克服することにあるとすれば、幼いころの≪見捨てられ≫経験が、実に人間の実存にとって、危機的経験であるのか、ということがシミジミわかりますね。
今の日本の危機の源は、この≪見捨てられ≫経験が、深く広く浸透していることと、それによる子どもたちの傷の深さにある、と私は見ています。
ですから、今の日本は、≪魂≫のレベルでの救済が、是非とも必要なんですね。
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