エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

希望を毎日味わいたい人は、是非是非。

2015-05-20 06:57:03 | エリクソンの発達臨床心理

 

 身近な関係が一番なのですから、お母さんは赤ちゃんが生まれたら、1歳半までは仕事を休んで、赤ちゃんのそばにいるのが、お母さんの責任です。お母さんが、赤ちゃんのそばに1歳半まで安心していられるようにするのが、お父さんと社会の責任です。

 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p41の2行目途中から。

 

 

 

 

 

聖パウロが(「コリントの信徒への第1の手紙」第13章12節で)「私どもは『鏡に映ったおぼろ』の向こうを見通して、分かるようになるでしょう、『顔』と『顔』を見合わせて、見るようになるでしょう」と約束しているように、死と診断されたところから復活したと思われる、いろんな人々が経験したことを報告した、その報告を見れば、このような究極的な出会いが、「顔」と「顔」を見合わせてみるヴィジョンであることが、確かなことと分かりますね。

 

 

 

 

 「コリントの信徒への第1の手紙」第13章12節の記述は、「宗教」が語る夢物語、マユツバである、と見る人も少なくありませんもんね。そう考える自由は確かにあります。ところが、エリクソンがここで記しているように、臨死体験をしてきた人は、花園や光の中で、自分が完全に肯定される圧倒的な悦び、を体験した、と繰り返し報告してますでしょ。最近再放送された、臨死体験レポートを、立花隆さんが解説していた番組でも、臨死体験をした人が異口同音に、その「天にも昇る悦び」の体験を語っていましたよね。ですから、「コリントの信徒への第1の手紙」第13章12節の記述は極めてリアリティのあるものです。

 さらには、そのリアリティは、臨死体験を体験した人の専売特許でもない、のです。そして、このリアリティを味わった者は、この「コリントの信徒への第1の手紙」の次の聖句第13章13節「信頼と、希望と、関係に対する誠実さとは、いつまでも、いつでもどこにでもありつづける」ということを生活の中で日々味わることができるのですね。面白いでしょ。

 

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