
インターメッツォ: エリクソンの叡智: 上下左右 決定的に大事な意味きわどいお話 代理によるミュンヒハウゼン症候群の母親は、自分を生きられずに来る時、人を蹴落とし、殺しても、生きたいと思うようになってしまう私......
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Toys and Reasons 『おもちゃ と 賢慮』から,p.60の第3パラグラフからです。
#心魅せられたことを信頼する心の習慣 #根源信頼感
の続き。2訂版。
2番目の問を最初に取り上げて,「自然科学者」が少なくとも「現実とは何か?」について私どもにヒントを与えてくれるかどうか,問うてみることにしましょう。「アインシュタイン最後の認識論のメッセージ」とホールトンが言うことは,「経験だけの世界」がハッキリとするのは,「根源的な思想に」おいてのみだ,ということです。「その根源的な思想は,全体像に関わるものですから,その性質は宇宙論的と言っていいのかもしれません」ということです。結局は,現実とは「直観の飛躍」でして,直感が秩序を見抜く訳です。科学者が宇宙に秩序を発見するその方法は,もちろん,1つの専門化されたものですが,「真実と分かる事実」を探し続け,しかも,その方法論と発見を分かち合い比較し続けることによって,証明された教えと,ウソとゴマカシのない価値をもたらす専門的方法となるのです。宇宙的な秩序を探し求める同様に不可欠な探索の心理学的な根っこは,しかしながら,世の中を見る見方を1つ必要とするあの最深欲求と結びついているように見えますね。その世の中を見る見方は,歴史上のある時点で,検証可能な事実に従うことを,「いっそう全体像を包み込む現実感」を探し求めることと結びつけます。この「いっそう全体像を包み込む現実感」とは,すなわち,イキイキとした生きたやり取りを分かち合っていると感じている,心から自由にされた人たちが「なるほど本当だね」と確信している1つの(訳注:人格的な)真理です。
現実といっても,単なる客観的事実の積み重ねではありません。自然科学でも,現実とは「直観の飛躍」なんですから,秩序を求める心理学的な根っこには,客観的な事実のみならず,人格的真理が必要なのは猶更です。その人格的真理は,人と人が「なるほど本当だね」と共感しあうもので,1つの全体像を信頼しあえばこそ,可能になる境地です。
ですから,現実といっても,ニッポンで「現実」と呼ぶものとは,「客観的事実」だけになりがちですから,かなり違いがありますよね。
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