自分の関係が歪んでいることに、人はなかなか気づきませんね。それは、≪本当の自分≫を生きていないことに、人はなかなか気づかないのと、似ています。
p111第2パラグラフ。
客観性がないことは、諸外国に関する限り、悪名高いことです。毎日毎日、外国は、全く堕落し、滅びるものと見なされても、自分の国は、善良で高貴な国だとされます。敵が何をやろうと、それは別の判断基準で、一つ一つ判定されます。敵がたとえ良いことをしても、悪の印だとされ、自分たちと世間を欺くことだとされます。自分たちがたとえ悪いことをしても、そのことが役立つ善良な目的によって、義とされます。国と国の関係は、個人と個人の関係に加えて、良く吟味すれば、客観性があることは例外だと分かります。大なり小なり、自己中心な歪みがあることが普通です。
よく、自分のことを棚に上げて、人のことをとやかく論評するのがお好きな人がいますよね。それは、通常、受け止めきれずにいる嫌いな自分を、相手を鏡にして、見ている場合が、ほとんどです。これを心理学的には、「投影(投映)」と呼びます。
また、その投影が、「人間を上下2つに分けるウソ」の猛毒に措かされてると、それだけ激しい投影が生じることになります。こうして、国と国、個人と個人は、「戦争」を始めることになるんですね。
ですから、本当に平和を望むのであれば、「人間を上下2つに分けるウソ」を自覚的に卒業して、「人間皆兄弟」に日々目覚めることが必要ですし、それと同時に、自分の「悪」と「嫌いな自分」を見つめて、シッカリと内省する日々を過ごすことが必要なんですね。
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