「放蕩息子」の譬えは、神様が信頼し続けてくださる、という全き福音です。
p356第3パラグラフ。
この譬えはまた、潜在的に成長する力を物語っている感じです。たとえば、一粒の辛子種。
そしてイエスは言いました。「『神様が支配されるところ』を何にたとえることができるでしょうか? あるいは、どのような譬えを、『神様が支配するところ』のために使えるでしょうか? それは一粒の辛子種のようですね。一粒の辛子種は、大地に植えられた時には、世に中で一番小さな種でしかありません。でもね、種を蒔けば、灌木の中では一番大きな木になり、空の鳥がその陰に巣を作るようほどに、大きな枝を付けるようになります」(マルコによる福音書第4章30節~32節)。
「神が支配するところ」は、辛子種のように、眼に見えないくらい小さなものでしかありません。しかし、その「神が支配するところ」が育っていくと、それは大きな実りをもたらします。≪やり取り≫も眼には見えない関係性です。しかし、その≪やりとり≫が広く深くなっていくと、その恵みは計り知れません。それは、臨床をやっていれば、どなたでも気づける圧倒的な恵みです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます