おもちゃと英知
序論(まえがき)では、儀式化と遊びについての、短いけれども、大事な考えが示されました。今日はまず、序論の後ろ扉にある、ウィリアム・ブレイクの詩を訳すことから始めたいと思います。こ...
この「一粒の砂に 世界を見る 一輪の野花に天国を見る」で始まる、ウィリアム・ブレークの、Auguries of Innocence「無垢の予兆」。132行もある詩です。この本のタイトルになった
The Child's Toys and the Old Man's Reasons
Are the Fruits of Two Seasons.
は、91-92行目に出てきます。
子どもが遊ぶいろんなおもちゃと、老人がいろんなことを判断する叡智(判断力)は、それぞれの年代の、特別に素敵なもの=果実として、ブレークは讃えます。
そして、この二つは繋がってもいるのです。おもちゃで遊ぶ赤ちゃんの信頼、ブレークの詩ではfaithですが、エリクソンの詩では、trustになっています。これはいずれも、ギリシャ語のπιστις の英語訳だと、私は考えています。この赤ちゃんの信頼に応えて育てるのが、老人の叡智に他ならないのです。
赤ちゃんの信頼を育てることは、その赤ちゃんが、自分がかけがえのない存在、地球よりも大事な自分自身であることを信頼できるようになることであると同時に、お母さんを、大人を、社会を、世の中を信頼できるようになることでもあります。この自己信頼と他者信頼を併せ持つものが、a sense of basic trust 根源的信頼感ですね。エリクソンは、この根源的信頼感を 「the lasting treasure 永遠の宝物」と呼びます。なぜなら、信頼が赤ちゃんに出きると、大人になってから、やり取りのある世話を、またその人の赤ちゃんに出きるので、またその赤ちゃんが信頼をプレゼントされるからです。つまり、この根源的信頼は、世代を超えて引き継がれていくからこそ、この信頼が「永遠」になるわけです。世代を超えますから、この信頼は「死」にも勝ることになりますね。また、たとえ「地獄」を見ても、どっこい信頼をし続けることができるのです。 ですから、この信頼は「地獄」にも勝ります。
私どもは赤ちゃんや子どもを眼の前にしたとき、その子と豊かで敏感なやり取りをする中で、この「永遠の宝物」をプレゼントしてまいりたいものですね。