ユマニストの目も手も、既成概念にとらわれない自由を謳歌していたようですね。
Young Man Luther 『青年ルター』p192の第3パラグラフから。
この見方は、人間の身体に備わっている諸機関・諸機能のヒエラルキーの中で、自分を確かにしようとする見方に根差すものです。特に、それは、身体が心の役に立つ(あるいは、身体が心である)限りは、の話ですが。ルネッサンスはその官能性(中世が禁欲主義と放縦が代わる代わるに来たのと対照的に)によって、身体を、現実の直感的で鍛えられた道具にしようとしたのでした。官能性と言っても、身体を罪まみれで嫌気がさすものにしたりすることは許されませんし、頭が教義に金縛りになったりすることも許されません。ルネサンスの官能性が求めるのは、人間の感性や直感と、見た目と事実と律法の世界との間に、十分なやり取りがあれかし、ということでした。
官能性といえば、エッチなイメージを持つ方もいることでしょう。しかし、ルネッサンスが携えていた官能性は、感性・直感と現実の一致、という、芸術においては極めてまっとうな主張でした。
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