爽やかで、温もりと悦びに満ち溢れた世界創造と人間の自由 私どもはいつでも、慈しみの母乳、その自分の分け前か、あるいは、分け前以上を分けていただけると期待することを許されているのですね......
今宵の聖書の言葉は,呼ぶ,εἶπον,エイボン。『新約聖書』の4つ目のイエス・キリストの物語,「ヨハネによる福音書」第15章に出てきます。前田護郎先生の翻訳は次のようになります。
「15もはやわたしはあなた方を僕と呼ばない。僕は主人のなすことを知らないから。あなた方を友といったのは、わが父から聞いたことを皆知らせたからである。16あなた方がわたしを選んだのではなく、わたしがあなた方を選んだ。そして、あなた方が前進して実を結び、実がいつまでも残るように導いた。わが名によってあなた方が父に求めるものを皆かなえていただくためである。17わたしは命ずる、互いに愛せよ。」
「僕」として,1段も2段も低い存在,とは呼ばない。「友」ですから,対等な存在として呼んでくださる。イエスがこう言う以上,人は皆対等な存在です。
人は対等な存在だからこそ,やり取りが可能になります。
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