≪良い良心≫を育んで、≪本当の私≫が生かされた者は幸いですね。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.237の、第4パラグラフから。
ヘレンの「触感的な」記憶(触れることにもとずく記憶)は、人と分かち合うことが出来ません。でもね、ことばがあれば、やり取りが出来るかもしれません。8才の時、ヘレンは、アンネと一緒に、ボストンにあるパーキンス盲学校(サリヴゥンもここで訓練を受けました)に入った時、ヘレンは他の人と始めて言葉をやり取りすることが出来ました。「なんて幸せなのかしら」とヘレンは書いています。「他の子どもたちと自由に話が出来るのって、素晴らしい世界にくつろいでいる感じ」とヘレンは書いています。
ことばは人と分かち合うことが出来る点で優れています。ヘレンは「水」と言う言葉のおかげで、分かち合う世界、理解し合える世界を手に入れたわけですね。
しかし、話し言葉を分かち合うためには、オープンで大らかな、認め合うものの見方が実は必要なんですね。「人を上下に分けるウソ」を卒業して、そういう爽やかで、温もりと悦びに満ち溢れた世界観が必要ですね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます