「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
Toys and Reasons 『おもちゃ と 賢慮』 第三部。p.123の,第2パラグラフの最後の4行。
ほぼ一年ぶりの改訳です。
今朝は,その続きで,p.124の8行目から。
心の中垣についての見方のいくつか
…
…この受胎告知の祭壇画も,また,不思議な光を目の当たりにして跪く1人の人間を示していますし,東を向くことは,人が育つ世界では「(いつも闇の中から現れる)不思議な光であるキリストを振り向くことになっている」ことを意味すること思い出しますでしょ。人が育つところでは,夜の闇は必ず黄昏時に開けますからね。
子どもたちが,お互いに相手を立て合う(大切にし合う)ことに本気になることと,聖書の神様の約束の約束に繋がる見通しを持つことは、人間らしい意識には,端っこに追いやられるのではなしに,人間が育つ場の中心である必要がありますし,無視されるのではなしに,新しい私であるキリストを生きる中で選ばれたい,という最深欲求があることを示しているとすれば,私どもが確かだと認めなくてはならないのは,キリストを生み出す聖母マリアの子宮こそが,天下のど真ん中にあるものだ,ということになりますによ。それは,実際には,子どもを身ごもったお母さんの子宮と,新たに生まれる赤ちゃんのひとりびとりが,天下のど真ん中にあるのと同じです。世の中を見る新しい眼があり,互いに大切にし合う新しい顔があり,新しい≪私であるキリスト≫の目印である新しい名前があります。それから,唯一の新しい人であるキリストは,計り知れない恵みに満ちていますから,(訳注:ハンナ・アーレントが言う)「人間の条件」によって,騙されることもありません。
ここも,エフェソ書の第3章が下敷きになっていると思います。
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