発達トラウマ障害(DTD)≒愛着障害の子どもは、アメリカでも、ニッポンでも、基本がホッララカシです。日本の多くの親の意図はともかくも、結果は残忍なネグレクトである場合が多いのです。
ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第6章、本のタイトルにもなっている「犬として育てられた少年」のp.130、第3パラグラフから。
アーサーと面接し、ジャスティンのカルテを読み、ジャスティンの行動観察をした後、分かったことは、この少年の課題は、この子に能力がないからじゃない、ということでしたね。ジャスティンがしゃべらないのは、おそらく、話しかけられたことがあまりなかったためと思われました。3歳までに300万の言葉を耳にするのが普通なのに、ジャスティンははるかに少ない言葉にしか、触れていなかったんです。ジャスティンが立ったり、歩いたりしないのは、おそらくは、ジャスティンを上手くおだてて、手を取って外に出したり、ジャスティンに「大丈夫だよ」と言ってやる人が誰もいなかったからでしょう。食器を使って食べる食べ方も知らなかったのは、手でつかんで食べたためしがなかったからでしょう。私はジャスティンを治療するにあたって抱いた希望は、ジャスティンが出来ないでいることは、適切ないろんな刺激が足りなかったからだということでした。つまり、基本は、チャンスがなかったからであって、能力がなかったからではない、ということでしたね。
希望はいつでもそこにあります。足りないのは、知らないからでも、能力がないからでもない場合がほとんどです。足りないのは、能力を発揮するための心のエネルギー、すなわち、本当の自分と、人生を根源的に支える、根源的信頼感である場合がほとんどですよ。
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