精霊は場所を選びません。
Young Man Luther 『青年ルター』p205の第2パラグラフ7行目途中から。
ルターが実際には、机とは別の場所に座っていたとルターが言ったことが意味することは、この創造的な瞬間に、昼夜の瞑想の時の緊張が、ルターの全存在を通して、解き放たれた、ということです。ルターの個人的な言葉を読んだ人は誰も疑えなかったことですが、ルターは全存在はいつでも、自分のハラワタも含んでいた、ということです。さらには、当時の人たちは、今私どもが、大事な体の働きについて気持ちを表わす(気持ちに表わす)よりも、はるかにあけっぴろげに口にもし、また同時に、具体的に言葉にもしていたのですね。
ルターは別にトイレで回心したことを隠したりはしません。それを隠したいのはね、ルターを権威づけて利用したい人たちでしょう。ルターは正直で、率直だったはずですね。
回心は、それまで縮こまっていた、心も、身体も、魂までもが、自由にされることですから、便秘や閉尿もすっかり良くなったでしょうね。
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