安倍晋三にしても、猪瀬にしても、ウソとゴマカシであることがハッキリしましたし、いずれも平和と民主主義の敵であることもハッキリしました。
3. パレーシアと思想
最後に、「パレーシア」の進歩が、思想分野との関連で辿れます。この場合、人生の美(techne tou bios テクネ トゥー ビオス ギリシャ語で「生きること、人生、生き物の美」)と見なすことです。
プラトンの著作において、ソクラテスは「パレーシアステス」の役回りです。「パレーシア」という言葉は、プラトンの著作には何度も出てきますが、「パレーシアステス」という言葉は一度も使われていません。「パレーシアステス」はずっと後になってから、ギリシャ語に現れます。しかし、ソクラテスの役回りは典型的に「パレーシア」的です。なぜならば、ソクラテスはアテネの人々と道で出くわすと、『ソクラテスの弁明』で記されているように、アテネの人々の本当のことを話し、英知と真実と魂の完成を勧めたからです。『アルキビアデス将軍』でも、ソクラテスは対話の中で「パレーシア」の役割を引き受けます。アルキビアデスの友達や愛人たちが、アルキビアデスの歓心を買うために、ペチャクチャおしゃべりしているところでも、ソクラテスは、アルキビアデスの不興を買っても、この理想を説いたのです。つまり、アルキビアデスが達成しようとしていること、つまり、アテネ人の中でアテネを統治する最初の人となり、ペルシャ王よりも強くなりたいと願っていることをやる前に、すなわち、アテネ人を世話するより前に、自分自身を大事にするようにしなければならない、ということです。哲学的な「パレーシア」は、このように、自分自身を大事にする(epimeleia heautou エピメレイア ヘアウトゥー ギリシャ語で「自分自身をよく見なさい、世話しなさい」の意)、というテーマと関連します。
哲学的には、「パレーシア」は、自分自身を大事にすること、アイデンティティと関係していることが分かりますね。
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