「いろいろあったけど、善い人生だったなぁ」と感じて、死んで生きたいものですね
Young Man Luther 『青年ルター』p.243の、第3パラグラフの、下から9行目途中から。
こういった、いくつかの、あれかこれかは、人生の舞台で深刻な条件になる訳では必ずしもありません。前にあるいつくかの舞台も、恵みにもなれば、呪いにもなります。なぜなら、人生は、最初から最後まで、全ての舞台が積み木になっていることによって、特色付けられているからです。ルターの父親との関係を見ると、最も深刻な臨床上の絶望が生じたのは、ルターが父親の望み通りになりかけていた、まさにその時だったことが分かります。すなわち、ルターが、社会に影響力を持つようになり、経済的に安定し、法律に縛られない存在とになり、ハンスと言う名の子どもの父親になった、まさにその時でした。
ルターは、社会的に成功したときが、まさに絶望の絶頂だった、というのは、心の不思議そのものですね。でも、これは割合にあることなんですね。
私もその昔、筑波大の茗荷谷キャンパスで学んでいる時に、一部上場の大会社に勤めている男性で、その父親も一部上場企業の副社長で、幼いころから外国暮らしが長く、英語、ポルトガル語が自由に使えると言う、30才くらいの男性の面接に、何度か陪席したことがあります。人が普通羨む様なお立場、環境でしょ。でもね、その男性は、パニック障害のために、日々を苦しんで暮らしてたんですね。
人生は、はた目から見たのでは、全く理解不能です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます