エリクソンの叡智 : #善良な市民を演じる人たちの本音
Ontogeny of ritualization in man. 人の中に本来の自己・本心と本音を創造する毎日礼拝
イギリスのThe Royal Societyが1966に出しています。
p.339 第3パラグラフの1行目。9.30, 2019 半月前に翻訳したのですが,もう一度再読しましたら,翻訳しなおしたほうが善い,という声が聴こえましたので,その声に従いたいと思います。
私が毎日礼拝の様々な元(もと)を一覧表にしようとしていますけれども,毎日礼拝の最初の元として繰り返し思い出すものは,聖書の神様が「とても善い」と認めてくださることに,驚き感激することから,本当の自分を生きたい,という,内的な促し(最深欲求)が生まれる,ということです。つまり,聖書の神様が「善し」として下さることに,驚き感激する中で,聖書の神様から,本当の自分をお生きなさい内的な促しがありますと,バラバラに二分されて対立した敵同士が仲直りして一心同体になって,シャローム平和を創造した2人が,徹頭徹尾,輝くことになります。聖書の神様が「善し」として下さることに,驚き感激する中で,本当の自分を生きたい,という内的促しがあるおかげで,2人が互いに大切にし合う土台は,「対等ではない」響きとスピリットを持つ2人が共に抱く,「互いに対等でありたいし,しかも,互いに相手に合わせ合って,一心同体になりたい,という(訳注:最深)欲求」です。
暗号解読は,実に愉快で,意味深長です。
9月30日の朝,森有正の文献を何冊か読み返してみましたが,「わたくし」,「同一性の感覚」,「内的促し」、「内的促しが人格の基礎」,「内的促しが自由の基礎」などの点で,エリクソンとおんなじ。
聖書の神様からの内的促し(最深欲求)の声に聴き従う時の,聖書の神様のいのちとキリストのシャローム平和の役割について述べていることが分かります。
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