人生のハビット、それは声高に何かを主張するのではないのに、その人のひととなり、雰囲気であると同時に、生きる方向性を感じさせるものなのですね。大江健三郎さんが、その講演(たしか、津田塾大学の卒業生の会でしたね)の中で紹介しているのは、隅谷三喜男先生と森安信雄医師に共通する「人生のハビット」です。隅谷三喜男先生は、高名な経済学者で、成田基地問題の解決のために尽力もされたキリスト者ですが、がんに侵されていながら、「核は地球のがんたがら、反核の運動は続けたい」という趣旨のメモを配った逸話が紹介されていましたね。また、森安信雄医師は、大江光さんの手術を担当した方です。この二人が、第一高等学校で同級生だったことに触れた中で、共通する「人生のハビット」を感じたとして、紹介されます。この言葉は、もちろん、アメリカの小説家フラナリー・オコーナーの書簡集 The Habit of Beingに由来するものです。人生のハビット、それは、一朝一夕に身につくものではなくて、日々の暮らしのなかで、最深欲求にこたえ続ける中で、培われるもの、それゆえ、簡単に揺るがせになることもなければ、簡単に言語化することも難しいものなのです。関心のある方は、大江健三郎さんの『人生のハビット』か、オコーナーの書簡集、翻訳『存在することの習慣—フラナリー・オコーナー書簡集』もありますから、そちらも参照してください。
「私が向上してきたのは、本物の引力のおかげですし、身に着けた習慣から働きすぎで仕事をやめにすることができません。(父親がお酒をやめられなかったように、私は仕事がやめられないのです)」この短い引用句の中に、バーナード・ショーが激しく苦悶し、折り合いがつかずに来た末に、そこを乗り越えることができた、一つの世界が語られているのです。なぜならば、成功するためには、すでに外見的には打ち負かしている父親を、心の中でもう一度打ち負かさなければならなかったからです。この父親の癖(たとえば、ユーモアの奇妙なセンスなど)が、息子であるバーナード・ショーの特異な偉大さを作り出すのに役立っているけれども、その偉大さの中にある欠点にもなっているのです。バーナード・ショーの伝記の言葉は、ほんとに体験したどん底に関する疑いを離れることはありません。そのどん底は、バーナード・ショーが、最も内気な宗教的人間の一人ですが、青年期に直面したものですし、このどん底を乗り超えたおかげで、歴史の舞台で偉大な皮肉屋を演じることによって、自分の鋭い感性にふたをすることができたのでした(「私はこの点、ことがうまく行きすぎました」)し、オルレアンの娘、ジャンヌダルクの口から忌憚なく話すために、劇場を用いることもできたのです。
人生のどん底で、ジョージ・バーナード・ショーは、踏みとどまりました。人生のどん底で、ショーは、枝を伸ばす前に、根を張ったのでした。人生のどん底で、ショーは、人生のハビットを身に着けたのでした。それは、生きる方向性に関心を持った瞬間でしょう。
人生のどん底で、ショーは、自分自身の声を、光の中で、聞くことができたのです。
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