インターメッツォ : 主にまかせよ小さな哲学者たち 小学生は小さな哲学者。心理臨床をしていますとね、そう感じることが、度々あるんですね。でも小学生ですから、難しい哲学用語を使......
今朝の聖書の言葉,眼の中の梁,です。
梁であって,針じゃないですよ。梁って,建物の柱と柱をつなぐ横棒ですよね。かなりでかい。眼の中に入るはずもありません。
『新約聖書』のはじめ『マタイによる福音書』の第7章に出てきます。
「 裁くな
7章 1裁くな、裁かれないために。2あなた方がひとを裁くように自らも裁かれ、ひとをはかるように自らもはかられる。3なにゆえ兄弟の目にあるちりが見えて、あなたの目にある梁(はり)に気づかないか。4どうして兄弟に向かって、あなたの目からちりを取ってあげよう、といえるか、相変わらずあなたの目に梁があるのに!5偽善者よ、まず自らの目から梁を取れ。見えたうえで兄弟の目からちりを取るようにせよ。」
これは,人の小さな欠点は見えて,自分の大きな欠点は,見逃しがちだ,という風にも思えます。それは間違いではありません。
でも,臨床心理学では,「投影」ということを,かなり初級段階で学びます。自分の中で折り合いがついていないことは,無意識に,他者を鏡として,他者のなかに,その他人の欠点として,大げさに見てしまっているのに,そのことに気づいていない,ということが起こります。
聖書は,人の心のからくりを,ずっと昔からよく知っていて,心が,無意識の暴力に支配させやすい,ことに注意を促しているわけですね。
人を裁く心は,悪い良心であって,この悪い良心が,人殺し,罪の厳罰化,心の病,戦争など,およそこの世の災難と不幸の極致を生み出してきたことを,ハッキリと自覚することが大切ですね。
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