防衛機制についても、氏か育ちか、という議論があるようですね。
The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p85の、線の下から。
私と私たち
自我防衛を議論した後は、「自我心理学」と呼ばれたりするものに戻る時でしょう。今日では、同様の意味に、「自己心理学」という言葉に出合います。私自身は、心理社会的ないずれの方向も、二律背反ですが、一人の人の最も個人的なことであると同時に、「私たち」という共同の意味にとっても、最も根源的なことでもあるものを議論することなしには、語ることができません。私は、「《私》という感じ」を、言葉を戴いた、感じ、また、考える存在を自覚する、ひとりびとりの中心である、とします。そういう存在は、本当の自分と向かい合うことができますし、無意識的な自我という考えも形作ることができます。
「《私》という感じ」は、エリクソンの用語で、アイデンティティと同様、中心的な言葉です。でもね、その割には知られていませんでしょ。エリクソンの紹介者が「偏った」紹介をしているからです。「礼拝のような真実な関係:リチュアライゼーション」もあまり知られていませんよね。
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