エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

叡智は耳からも

2016-02-01 08:13:13 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
子どもをダシに使う学校には、ホンダシを!
  「子どもをダシに使う学校」。 形容矛盾でも、言語矛盾でもありません。学校が子どものためにあるんじゃなくて、教員が私物化している学校です。そういう学校で「立...
 

 

 「叡智」は生きる指針を示すものです。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の始めに戻って、「完成版の前書き」、p.7の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 「叡智」と言う言葉の根っこの意味に触れた悦びのあまり、私はさらなる発見を致しました。何千年も前は、シュメール語では、「耳」と「叡智」という言葉は、1つであり同じでした。この言葉はおそらく「エンキ」であり、それは、シュメールの叡智の神が、「エンキ」と呼ばれていたからでした。「偉大な天から、女神は耳を、すなわち、叡智を受け止める耳を、偉大な大地に向けています」と言われます。

 

 

 

 

 

 叡智は、眼だけではなくて、耳から、すなわち、聴く耳からも得られるのでした。私どもは「聖」という漢字を使う文化圏ですから、眼よりも「耳」と「叡智」を結びつけている文化圏かもしれませんね。

 

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