エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

霊的な教育は、当然に自由だあ! しかも、人格の要だあ!

2016-02-01 03:07:32 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
降りていく生き方
  死んだような心に、忘れていた木霊が響き渡る…。復活そのものでしょう。 p179の8行目途中から。  &nbs...
 

 霊的な教育の、とりあえずの最終回。霊的な教育に関心のある人って、けっこういるんですね。当ブログの「霊的な教育」を読む人が多いですからね。

 霊的な教育は、教育をする側も教育を受ける側も、自由にしてくれますね。ますます自由ですね。当然です。

 霊的な教育は、超越を求めるのですから、自由です。「ムラ社会」のいろんなシガラミ(柵)から自由です。シガラミにまみれて、シガラミに守られる生活には、さようなら。鈴木大拙の話でご紹介したように、自由は、「自分に由る」ということですからね。「≪私≫という感じ」を指針として、キリスト者であれば、神のご意志、神のご計画に従って、生きるからこそ、自由なわけですね。

 自由ですから、ビクビクすることもなければ、ペコペコするわけでもない。ムラ社会の人みたいにはしないんですね。世間や「ムラ社会」では、ビクビク、ペコペコが「謙遜」かもしれませんが、そんな損得勘定の態度は「謙遜」の風上にも置けません。私は、この種の「謙遜」は「奴隷根性」と呼んでいます。なぜなら、基本が依存症ですからね。したがって、この「奴隷根性」にはウソとゴマカシがつきものですね。

 自由、それは、湧き上がる悦び、弱さや脆さにも大らさ、優しさ、エバる者や浅はかな者には厳しさがあります。不自由な暗黙のルールを暴きだして、糺して、自由なルールをハッキリと打ち立てます。

 あなたも、霊的な教育によって、自由になってくださいね。この自由は、「教育基本法」の前文にある「人格」の要なのですからね。

 

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