意識は明晰さと温もりを与えてくれるものなんですね。そのことを毎日思い出しながら、生きていきたいものですね。
p345第2パラグラフ。
フロイトは、いわば、宗教的に科学的なままでしたが、それは、フロイトが自分の使命を追い求めていたからです。その使命とは、人間の強迫症状(それが「邪悪」であろうと、「病気」であろうと)を研究する本物の方法を探すことでした。フロイトが宗教的に科学的なままである間は、引用した言葉にある通り、「あなたの眼が邪であれば、あなたの体も闇で満ちる」(ルカによる福音書 第11章34節 キング・ジェームス版)と言いたげなところにだんだん近づいています。ただし、フロイトは、意識の背後の闇を追い求め続けます。それは、人間の心の中の構造的な区分を明らかにしようとしていたんです。すなわち、エゴのほかに、超自我とイドが、衝動と激情の渦巻く心の大釜なんですね。
無意識の突き動かれている人生、それは、エリクソンがここに引用した聖句「あなたの眼が邪であれば、あなたの身体も闇に満ちる」がそのまま実現した感じです。そして、それはその当人が苦しむだけではなくて、その家族も苦しい思いをせざるを得ないんです。日々、様々な方の臨床をしていますと、この言葉は本当になる、アーメンなんですね。
でもね、この聖句にはチャァーンと前段があるんです。それはね、
「あなたの眼が澄んでいれば、あなたの体は明るい」ってね。
この「眼」(一隻眼)は全人格と人生の要ですね。
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