2013-09-13 03:15:08 | エリクソンの発達臨床心理
アメリカの市民宗教では、いつも新しいヴィジョンの元で、自分自身の選び直しが行われているというのは、いつもカウンセリングを受けているようなものです。そうです。カウンセリングこそ、非日常の守られた自由な空間で、神はいなくとも、自分自身を選び直すことを行うことなのです。
≪約束≫に基づく遊びは、エリクソンが言う、「a sense of basic trust 根源的信頼感」を回復するセラピーなんですね。なぜって、≪約束≫をお互いに繰り返し守り合えば、自ずから、お互いを信頼することに繋がるからです。
「a sense of basic trust 根源的信頼感」が豊かになるのか、残念ながら、a sense of basic mistrust 根源的不信感」が募ってしまうのかの発達危機は、赤ちゃんの時期の危機でしたね。この発達危機は、母親の献身によって、根源的信頼感が豊かになることで、本来乗り切るものなんですね。
今日はその「母親の献身」について、少し考えておきたいと思います。
赤ちゃんが泣くときって、おっぱいがほしかったり、オシメを取り換えてもらいたかったㇼですよね。もしかしたら、あやしてほしい場合もあるのかもしれません。最初は、赤ちゃんが泣いていても、その意味が、「おっぱい」なのか? 「オシメ」なのか? それとも、「あやしてね」なのか? がハッキリしませんでしょ。それでも毎日10回以上やってるうちに、この泣きは「おっぱい」だなぁ、今度は「オシメ」だなぁって、だんだん勘が働いてきましたでしょ。赤ちゃんは区別して泣いてるみたいなんですね。
また、赤ちゃんがおっぱいを貰って、お尻もさっぱりしてたら、多くの時間はスヤスヤ寝ていますよね。寝ている時に、うっすらとほほ笑んで見える場合がありませんでしたか?「自発的微笑」と呼ばれるものですね。この「微笑」は、モナリザの微笑に擬えられるもので、見るものを魅了せずにはおかないものなんですね。思わす「可愛いぃ」って叫びたくなりますよね。赤ちゃんは寝てんだから、お母さんが「可愛いぃ」って叫んでも聴いてない、と思うかもしれませんよね。でもね、私はチャァーンと赤ちゃんは気づいていると思いますよ。
あ母さんがこのように赤ちゃんに関わるのは、別に契約書を交わしたものでもなければ、口約束さえした訳じゃぁない。でもね、「母親の献身」と言うのは、最も誠実な約束を、忠実に履行したものではないでしょうか? その≪約束≫を毎日何十回と繰り返すんですね。1歳半までの間に、1日10回だとしても、およそ6,000回の献身をすることになります。このようにして、初めて、赤ちゃんは「根源的信頼感」を豊かにすることができるんですね。
「≪約束≫に基づく遊び」は、この6,000回の「母親の献身」の代わりを、約100回で、ある程度リカバリーしようというものなんですね。ちょっと虫のいい関わりなんですね。でも、逆に申し上げれば、「お得コース」だともいえるかもしれませんね。
ですから、「≪約束≫に基づく遊び」は、本来赤ちゃんの時にしたほうが良い「母親の献身」のごとく、母親が≪約束に忠実≫であることが、ことのエッセンスなんですね。
ギリシャ語では、この≪忠実≫もね、赤ちゃんの≪信頼≫もね、共にピスティス πιστις。ですから、赤ちゃんの≪信頼≫はお母さんの≪約束に忠実≫がプレゼントするものだ、とハッキリわかります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます