それで なかなかパレーシアな話題に入りません。
私はこの戯曲の政治的側面や神話的側面に注目するのではなくて、真実をデルフォイからアテネに向けて暴露した、場の移動に注目します。ご承知のように、デルフォイの神託は、ピティアの口を通して神が真実を述べる、ギリシャにある場だと思われていました。しかしこの戯曲の中で、デルフォイの神託からアテネへと非常にはっきりと、場が変わっていることがわかります。今やアテネは真実が語られる場になります。この場の移動に伴って、神はデルフォイで人間に真実を語ったようには語ってくれません。むしろ、アテネ人のパレーシアを通して、人が人に対して真実を語るのでした。
パレーシアは、この文脈から申し上げれば、神の神託にとって代わる存在なのです。つまり、神に代わるような気持ちで、パレーシアである、と、いつも意識していることが大事です。
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