フロイトは、自分の課題に中に、普遍を見出しました。フロイトは父親との葛藤に苦戦していましたが、その苦戦を通して、人間の心の中に普遍的な父親像と母親像があることに気づかされたのでした。その一つがエディプスコンプレックスと呼ばれるものなのですね。
神経症と創造性の間にある生死を分ける峠は、その質を議論すること自体、マルティンが聖歌隊での発作の時に飲み込まれた精神状態を紹介することになることでしょう。この発作の伝説になりそうな側面は、伝説を作り出すような人たちが、本人の内面で起きていることに関して、どのように無意識的に理解していたのか、を反映するものですね。ここでは、マルティンの修道士仲間が伝説を作り出したのですが。次の章では、マルティンの子どもの頃のことがほとんどわかっていないことを分析します。その際、私どもは人格の変化を順番に辿っていきます。この人格の変化があったればこそ、聖歌隊で、否認しなくてはならなかった力によって、文字通り引き倒されていた若者が、皇帝の前にも立ち、20年後ウォルムス議会で、ローマ法王の使者の前にも立ち、人間の統合性を新たな言葉で述べることができたのです。「わたくしの良心は神の言葉と切っても切れない関係です。私ができないだとか、やらないだとか、いうことは全て取消しなさい。なぜならば、自分の良心は反することをするのは、安全でもなければ、立派でもないからです」
この倒されて、横になっていたものが《立つ》のが、「復活」(αναστασις アナスタシス)です。マルティンが聖歌隊の発作で何度も倒れこんでいたのに、父親との葛藤と真正面から対峙することなどを通して、人格が大いに変容したのです。それで、皇帝の前でも、法王の前にでも、独り立ち(stand alone、ソリチュード)、自分の主張をハッキリ述べることができたのです(パレーシア)。
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